1月10日、いつも通る道端にある民家の軒下に作られた小さい花壇に一本だけ黄色い水仙が咲いていました。広さが将棋盤くらいの1群落で1本の茎、先端に花5つ。
細長い水仙の葉と後ろの壁に立てかけられた火鋏との微妙なバランスがおかしくてアップしてみました。
火鋏の持ち主はこの民家の住人で現在は70代の婆様だったはずです。施設か病院に入ってられるという話で、ここ数年は姿を見かけません。
婆様がまだオバサンで元気だった20年くらい前までは毎日のように前の道の真ん中で焚火をしていたのを思い出しました。道は車がかろうじて通れる細い道です。下はアスファルトなので直火と言う訳にはいかず、上をくり抜いた一斗缶(いっとかん)に落ち葉や紙くずを入れて燃やしていました。
道の向かいは私鉄の機材置き場で、その隣は今は亡き優しい婆様(大正生まれ)の家。どこの町内会にも一人はいるうるさいババア(存命)の家が婆様の家のすぐ隣りにありますがこの道はババア宅の裏口側であまり通らないという
焚火には絶好のロケーションだったのです。
同じ火鋏かどうかは分かりませんが、オバサンが火鋏を使って一斗缶の中をかき回して火の粉が盛大に上がったことをよく覚えています。
火鋏は肉厚の鉄製で上等そうです。火鋏の右に写っているのは大きいスプーン(量り売りの駄菓子をすくうアレに似ています)で左は使い古された軍手の一部です。写ってはいませんが軍手の横には木の柄が朽ちかけた小型のスコップもありました。
それはどう見ても焚火の道具一式でした。
有害物質のダイオキシンを発生させるとか、火事を誘発する危険性などの理由で屋外燃焼行為(焚火のこと)が条例で禁止され、焚火が出来なくなってしまったのは平成12年(西暦2000年)頃からです。となると火鋏がこの位置に静止して20年!
ほとんど毎日通っている道なのに、初めて火鋏に気付きました。
オバサンのささやかな趣味は奪われてしまいました。
晩秋にはあちこちで煙の上がっていた公園や学校の運動場の落ち葉焚きも過去のものとなってしまいました。